どうもこんばんは。
完全な夜中ですが僕としては
どうしてもスルー出来ないニュースが入ってきました。
「燕一筋19年 ヤクルト雄平引退」
雄平ファンの中ではなんとなく察していた人はいたと思います。
僕もその中の一人です。
二軍での成績は芳しく無かったし
今シーズンは一軍出場無し。
否が応でも感じてしまうものはありましたが
それでも。雄平なら。諦めずに真剣に野球に向き合っている雄平なら。
奇跡の復活もあるかもしれない。
そんな…希望的観測もありました。
それでも。やはり……ね。
年齢もありますし
現状、一軍は穴が無いです。
外野枠は勿論、代打枠も埋まっていますからね。
本人もチームの現状や
自身の状態を考えると…ここが引き際なのかなと思ったんでしょうね。
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ただ。プレイヤーとしてのユニフォームは脱ぐ事になりますが。
まだまだ人生というものは長いです。
チームへの貢献度や練習への姿勢を見ると別の形でユニフォームに袖を通す事も十二分にあるでしょう。
人柄も素晴らしいですからね。
例えプレイヤーで無くなっても僕の中では最高の野球選手であった事は変わりありません。
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燕一筋19年。
投手として競合ドラ1で指名され1年目から5勝を上げ
未来のエースとして期待された左腕でしたが
制球難に苦しんで投手晩年は投球フォームも見失い。
サイドスローなんかも試していましたが2009年のフェニックスリーグで投手登録ながら外野手でも出場し
2010年のキャンプから野手として本格始動を始めました。
野手になって最初にビックリしたのは
ど真ん中でも空振りする事だったらしいですね。
野手転向がもう少し早ければ…なんて事もよく言われていますけど
投手としての経験があったから残せた結果ってのもあったと思います。
なので僕の場合は早ければ…とは思いません。遠回りのように見えて
意味のある事だったと思ってます。
そして二軍で着実に成績を残して。
途中で登録名を高井→雄平に変更。
再スタートの意味を込めての登録だったと本人は言っていましたね。
で。2012年には左の中継ぎは少ないし
もしかしたら二刀流ってのもあるのでは?と言われていましたが
それは本人が拒否。「これだけマメだらけの手じゃ投げられないですよ」
って発言は強く残っています。
そして野手転向して
一軍で出始めて2年目(2013)。
開幕スタメンを勝ち取って阪神の藤浪から野手転向後初のホームランを記録
……懐かしいですね(1球速報より)。
そして4月にもホールトン?からホームランを打って。
野手として開花……しかけたところで。
右膝前十字靭帯断裂。
結局この後のシーズンは棒に振ってしまいました。
しかし。翌年の
2014年で本当の本当に才能開花。
諦めずにリハビリをした先に待っていた景色は素晴らしいものでした。
自身初の3割20本を記録し
オールスターに出場しベストナインにも選出。
2015年は年間通してイマイチ状態を上げることは出来ませんでしたが
誰もが忘れない優勝決定サヨナラタイムリーを放ちましたね。
そしてその後はコンスタントに3割前後を記録。
開幕当初は状態が上がらないものの
6月辺りから状態を上げて終わってみれば3割前後ってのが雄平のパターンでした。
ただ。2020年。
この年も開幕スタメンに名を連ねていましたが中々結果を残せず。。
勿論全員が同じ条件下ではありますが
コロナによる調整不足はベテランに取っては痛かったのかなと……。
そして10月頃には手術をして秋キャンプには合流せずに2021年の復帰を目指す形に。
そして2021年。
順調にいけば途中からでも一軍キャンプに合流するのかなと思いましたが
中々良い情報が出てこず。
半リハビリ状態が続いているようでしたね。
中々復帰出来ずにやっと二軍で復帰した雄平でしたが中々打てず。
そしてまた一時試合から離れ(怪我の再発)……苦しい状態が続いた結果。
こういう決断になったのかなと。
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いやー。本当に苦労人なんですよ。
そして野球が大好きな選手なんです。
野球が上手くなりたいから人の何倍も練習をする。
年齢を重ねても純粋に野球を楽しんでいる姿には尊敬しか感じません。
ファンへの対応もいつも笑顔で優しい
そんなの応燕したくなるに決まってるじゃないですか。
イースタンでの最終出場試合は
30日の楽天戦になるでしょうが
やっぱり……最後は
一軍で引退試合を見たいですね。
今の一軍は壮絶な首位争いをしているのでそういうプログラムを組めるかってのは
本当にギリギリにならないと分からないでしょうが
野球を愛して。燕を愛して。
頑張ってくれた19年間の最後は。
最高の花道を飾って欲しいですね。
本当に19年間お疲れ様でした!!
雄平選手に出会えて本当に良かったです!!